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きちがいじみるくらいチラ裏公開すると楽しいと思う本当にいろんな意味で

今までどうでもいいこと書いていろんなひとが見られるようにしてきたけど、最近になって書くのをためらうことが少しずつ出てきた気がするどうも僕です。これが理性か!さっきも、なんかニコ動でとある歌と響きな曲を見つけて、おおニコ動何でもありだな、とか思いつつ、チャイム飛び出してて「カどーん」になってるなおいという、書いたところで誰もわからないような、わかったとしても、で?と言われそうなことを書こうとしていた。今書いてみたけど実際そうなっている。自分自身、で?って思った。これはほとんど虚空に向かって共感を求めてるようなものなのでいささかの寂しさがあるけど、それよりもとりあえず言っとくかという感じで今まで書いてきた。しかしよく考えるといやよく考えなくてもこれってすげー微妙だよな…。って別に思わない。というかこういうどうでもいいことを言いたくなったり書きたくなったときはそういうこと考えてない。書いてしばらくしてから、ああ、これすげーどうでもいい、て思うことはけっこうあるけど、まあどうでもいいからどうでもいいか、みたいな感じになって本当にどうでもよくなる。文章として残ってない、口で言ったどうでもいいことなんかはもう憶えてすらいないからどうでもいいと思うことすらない。ということでこれは書くのをためらう理由にならない。うわーさっそくどうでもいいことだ。
というかやっぱりためらうのは世間の目とかしがらみとかそういうあれだった。想像するのは自由だけど実際に世の中に向かってその想像を発言するのはそれほど自由じゃない。音声的に発言するのは呪文なんかでなければけっこうどんなのでも自由だけど、社会的に、対人的に受け入れられにくい発言は代償がでかすぎるので実際はさほど自由じゃない。いや言うまで自由か。社会的制約で、発言しようという心が自由を失なってなければ。こういう当たり前っぽいことは誰もがわかってることになってるので今さら言うまでもないけど、ある次元や程度を以って不自由になりはじめるボーダーがそれぞれあるわけで、自分もいくぶんこういうボーダーみたいなものの存在を感じるようになってきた。というか大人の社会に接近するとそういうリスクを考慮させられそうになる。社会とかいう場所の基礎が信用とかいう積んだりキープしたりするか、それともリセットするか、というある種の安定感を求めるもので出来てるので、社会人というかビジネスマンらはボーダーぎりぎりまでは攻めるけど、越えることは絶対しないみたいな、めんどくさくなってきたな、あるよねそういうの。そういうボーダーに寄ったこと書いちゃうのは蟻の一穴的なクリティカルなものだったり、過剰に蓄積したりしなければわりとどうでもいいと思うんだけど、安牌切ろうとしてるとボーダーラインが太く手前まで来ているように見えるんでぎりぎり書いてるようでそれ全然普通。というかそういうボーダーのほう向かないで書いてればもうほとんどわりと自由なんじゃねーの。つまり他愛のない日記は自由。しかも誰ともなく書くことなんて、キャッチしてくれるひとも、ぶつけちゃうひともほとんどないし、数撃ちゃ当たったりするけど、まず誰も見てねーよ。でもこれが意外と人ごみに向かって投げてたりするから怖い。どっちだよ。もうどうでもいいよ。自分は結果として誰かがキャッチできるようような球か、自分自身に返ってくる壁当ての球か、どっちかになればいいやーという気分で書いてて、そういうのが気楽だろうなと思ったりしてる今のところは。誰かにぶつけてやろうという気持ちはあんまりない。ぶつけて怒リングで投げ返されてもめんどうだし、ぶつけてまでして気付かせるのもめんどう。拾ってくれるならまあそれもいいですね。たまにキャッチボールになったらそれはそれでおもしろい。そんなもんだ。そういう気分で日記書いてけばまあそのうちおもしろいこともあるんじゃねーのくらいの気持ちでわりと無責任に日記やればいいのにと思っています。